今井と道頓堀の200年

・1868(明治 元)※9月8日、明治と改元。10月、江戸を東京と改称。この年から「大坂」の表記が「大阪」にほぼ統一される。「小坂(おさか)」に始まり「大坂」の時代が続き、1878年(明治10)ごろには完全に「大阪」の表記となった。

<この年の流行語>錦の御旗、御一新

 

・1869(明治 2)

5月、今井3代目、今井佐兵衛が倉造ゑい(天保8年3月12日生まれ)と結婚。芝居茶屋「稲竹」を継ぐ。佐兵衛27歳の春。※1月、大阪府から摂津県・河内県独立。3月、東京遷都。同、両・分・朱の4進法を廃止し、「円」「銭」の10進法を採用。6月、大坂三郷を廃止し、東西南北の4大組とする。同、版籍奉還。9月、大村益次郎、萩藩士に襲われ、11月に死去、47歳。

 

・1870(明治 3)

3月14日、今井4代目、今井三之助が誕生。

この年、明治新政府は千日前の刑場を廃止し、隣接の墓地も阿倍野に移して跡地を無償で払い下げた。近くでヤシの親方をしていた奥田弁次郎の妻、ふみがこれに申し込んで得た地にムシロ囲いの見世物小屋を出し、軽業と曲馬を見せた。千日前歓楽街の草分けである。

 

1884、5年ごろには瓦葺の小屋も現れ、その後は寄席、壮士芝居も盛んにおこなわれた。

※2月、大阪城内に造兵司(後の大阪砲兵工廠)設置。

<この年の流行語>テレガラフ

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・1871(明治 4)※3月、東京-京都-大阪に郵便開始。8月、大阪鎮台設置。

<この年の流行語>ら卒(警官のこと)

 

・1872(明治 5)※3月、日本人の手になる最初のビールといえる「渋谷ビール」が堂島で誕生した。市内では「苦くて飲めまへん」というわけでほとんど売れず、川口居留地の外国人向けに販売された。10月、新橋―横浜間に鉄道開通。12月、太陽暦採用、12月3日が明治6年1月1日となる。

<この年の流行語>陸蒸気、ポリス、文明開化の七つ道具(ガス灯、郵便、新聞、写真絵、蒸気船、軽気球、博覧会)

 

・1873(明治 6)※1月、徴兵令公布、大阪では翌年から徴兵開始。

<この年の流行語>血税

 

・1874(明治 7)※5月、大阪-神戸間に鉄道開通、梅田すてんしょ開業。7月、大阪府庁舎開庁式(江之子島)

<この年の流行語>富国強兵

 

・1875(明治 8)※2月、花外楼で大坂会議、元老院、大審院設置が決まる。8月、讒謗律、新聞紙条例をだし、反政府言論活動の取り締まりを強化。

<この年の流行語>巡査

 

・1876(明治 9)

 1月8日、「若太夫の芝居」から出火、「竹田の芝居」も焼失。

2月20日、「築後の芝居」の隣家から出火、724戸が焼け、150人余が死亡。「築後の芝居」「中の芝居」「角の芝居」も類焼し、後に道頓堀大火と呼ばれた。

4月18日、1月に焼け、仮普請で開場し、こけら落とし興行中だった「竹田の芝居」がまた火を出し、類焼12軒、59人が焼死する惨事に。しかし、この時もすぐ再建され、弁天座の名で新築開場した。弁天座はさらに道頓堀文楽座、朝日座と名を変え、1984年(昭和59)、国立文楽劇場の開場により、その幕を閉じた。

 9月、「豊竹座」から転じた「若太夫の芝居」が1月に焼けて後に再び開場にこぎつけ、「阪恵(はんえい)座」の名でこけら落としをしながら、翌年にまた焼け、とうとう廃座に追い込まれた。

 この年、「筑後の芝居」(竹本座→大西の芝居→筑後の芝居)も再建され、「戎座」と改称。1887年(明治20)には「浪花座」と名を変えた。平成14年に閉館。

 ※2月、大阪日報(現毎日新聞)創刊、大阪で最初の論説入り新聞。7月、大阪―向日町(京都)間に鉄道開業。

 

・1877(明治10)

このころ、信太ずし(いなりずし)の薄揚げをうどんに入れる「きつねうどん」が考案される。甘辛く煮た油揚げ入りのきつねうどんは1894年(明治27)の日清戦争以降に登場した。「きつねうどんの元祖」で知られる南船場の「松葉家」が、93年に売り出したころは「出汁が甘ったるくなる」と、油揚げを別の竹かごに入れて客に出したという。

うどんの源流は、6世紀半ば以降、小麦粉を打って伸ばした食べ物で「麺」といった。この麺は皮のようにし、具を入れて包んだりするワンタンや団子汁のようなものだったと想像される。江戸初期、朝鮮の元珍という東大寺の学僧が「そばきり」の手法を伝授。以来、線状の麺として食べられるようになった。このことから麺は「切り麦」とも呼ばれ、温めてたべるのを「熱麦」、冷やしてたべるのを「冷麦」と呼んだ。「熱麦」は「湯餅」とも呼ばれ、湯餅の俗称だった「温飩」から「饂飩」となり、「うどん」となった。

うどんを鰹だしと醤油で味付けしただし汁で食べ始めたのは元禄以降。夜鳴きうどんが登場したのもこのころとされる。

※2~9月、西南戦争、西郷隆盛自殺、51歳。5月、大坂-神戸間に鉄道開通。8~10月、コレラが全国に流行。

 

・1878(明治11)※1月、市立梅花女学校開校。3月に東京商法会議所、4月に大阪株式取引所設立。5月、パリ万博に参加。8月、大坂商法会議所設立、五代友厚が初代会頭。9月、明治8年結成の愛国社再興大会が大阪で開かれ、本社を大阪に置き、全国的な国会開設の請願運動を展開。この年、日本に初めて電灯(アーク灯)がお目見え。

 

・1879(明治12)※1月、朝日新聞創刊。5月、大阪初の幼稚園「府立模範幼稚園」が開園。

 

・1880(明治13)※3月、料亭、喜多福亭と太融寺で開かれた愛国社第四回大会で国会期成同盟が結成。4月、集会条例制定。

<この年の流行語>国会熱、民権熱

 

・1881(明治14)

9月10日、創立されたばかりの近畿自由党が主催する政談演説会が板垣退助を迎えて「戎座」で開かれ、傍聴希望者は5000人を超えた。当初、北海道開拓使(長官は黒田清隆)の官有物払下げ事件に関連する政府批判の予定だったが、11人の弁士の多くが国会開設と憲法制定の必要を訴えた。※2月、堺県廃止、大阪府に合併。10月、御前会議で大隈重信の罷免を決定(明治14年の政変)。

<この年の流行語>圧制、自由

 

・1882(明治15)※1月、軍人勅諭発布。2月、大阪で立憲政党(中島信行)が結成されたのを始め、同月、東洋議政会(大隈重信)、3月に九州改進党、立憲改進党(大隈)、立憲帝政党(福地源一郎)などが次々結成される。12月、日本銀行大阪支店(東区今橋)開業、翌年6月に開業式。そのあと東区大川町に移り、1903年(明治36)2月、現在の北区中之島に移転。

<この年の流行語>板垣死すとも自由は死せず

 

・1883(明治16)

道頓堀五座の一つに数えられた「角丸の芝居」がこの年の小屋改築を機に「朝日座」を名乗る。 ※4月、造幣局の桜の通り抜けを初めて実施。7月、大阪紡績会社が開業。11月、鹿鳴館開館。同、大阪で初めて電灯(アーク灯)がつく。

<この年の流行語>壮士、束髪

 

・1884(明治17)

 3月6日、大阪初の洋風劇場となった「角座」が「角大劇場」と名乗って開場式。この劇場で、大阪で初めてアイスクリームが売り出された。値段は5銭(氷水が1銭5厘の時代)。

 5月、前年に大阪にお目見えしたばかりの電灯(アーク灯)が「中座」にともる。中村梅玉が「日蓮記」を上演した際の舞台照明に使われた。千日前・竹林寺境内に発電機を設置、架線で中座に送電した。それまでの芝居小屋の照明は、ろうそく、ランプだった。当時配布されたビラには「その火光は、一燈にして数町の遠きを照らし、あたかも白昼に異ならず」と書かれ、「昼をあざむく明るさ」と評判になった。

 12月、「中座」から出火、全焼。向かい側(浜側)にあった今井3代目、今井佐兵衛経営の「稲竹」も類焼。

※6月、天気予報が開始される。7月、華族令(公・候・伯・子・男の5等)制定。このころから、婦人の洋装が盛んになる。

<この年の流行語>改良

 

・1885(明治18)

5月、シェークスピアの「ベニスの商人」が「何桜彼桜銭世中(さくらどきぜにのよのなか)」の題で翻案され、大阪朝日新聞に連載中に、「戎座」(後の浪花座)で芝居化された。シェークスピア劇の本邦初演といわれる。間もなく、脚本を少し変えたものが朝日座でも上演され、道頓堀でシェークスピア劇が競演されることとなった。

11月、「中座」が新築、再開場。

同月、「中座」開場の直前、通りの浜(北)側にあって前年の中座火災で類焼した「稲竹」が南側の「中座」東隣に暖簾を吊った。移った理由は不明。新たな店には、客の入口とは別に店の東側の法善寺につながる路地に勝手口があった。その南隣りが「中座」の楽屋口だった。中村鴈次郎、片岡我当(後の11代片岡仁左衛門)らもここから出入りした。

当時の芝居客は道頓堀川を舟で芝居茶屋につけ、そのまま茶屋に上がり込むのが通例。船着き場を持たない「稲竹」は得意客の舟を日本橋や相合橋のたもとに着けさせ、お茶子が店名入りのちょうちんを手に川岸で出迎えた。

 ※1月、往復はがき発行。2月、岩崎弥太郎没、52歳。6月と7月に淀川大洪水、市街地の三分の二が水没。8月、神奈川・大磯に日本初の海水浴場。12月、関西最初の私鉄、阪堺鉄道(後の南海)開業、難波-大和川間を走る。

 

・1886(明治19)※11月、児島惟謙が関西法律学校(現在の関西大)を西区に開校。

<この年の流行語>西洋フハッション(「流行」のこと)、ワルス(「ワルツ」のこと)

 

・1887(明治20)

 この年、「戎座」(竹本座→大西の芝居→筑後の芝居→戎座)が「浪花座」と改称。2002年(平成14)に閉館。

※12月、大阪電灯会社(後の関西電力)設立。

<この年の流行語>鹿鳴館時代

 

・1888(明治21)※12月、角藤定憲、新町座で壮士芝居公演、新派のスタート。

<この年の流行語>超然主義

 

・1889(明治22)

5月、大阪電灯(株)(関西電力の前身)が西道頓堀発電所から交流送電(30キロワット、1150ボルト)を開始し、大阪市内の各家庭に初めて電灯がつく。料金(月)は半夜灯(午後12時まで)で10燭光1円、25燭光2円、終夜灯で10燭光1円70銭、25燭光が4円10銭。※2月、大日本帝国憲法発布、皇室典範制定。3月、パリ・エッフェル塔(312m)完成。4月、大阪で市制施行、全国で39の市が成立。7月、東海道線(新橋-神戸)が全通、大阪―新橋の料金は3円56銭、所要時間は19時間。9月、大阪に本社を持つ初めての生保会社として日本生命保険会社開業。10月、大阪市役所が西区江之子島の府庁内に開庁、4区に区役所を設ける。

<この年の流行語>千古不磨の大典、バンザイ、元勲内閣

 

・1890(明治23)※1月、富山で米騒動。この年、大日本除虫菊㈱=西区=の創業者、上山栄一郎が棒状蚊取り線香を発明、5年後に渦巻き型蚊取り線香を考案。

<この年の流行語>エレベートル(「エレベーター」のこと)、パノラマ

 

・1891(明治24)

この年、新派の草分けとなった角藤定憲の一派が「浪花座」(竹本座→大西の芝居→筑後の芝居→戎座→浪花座)に進出し、初興行。※5月、大津事件。この年、川上音二郎が堺・卯の日座で書生芝居(オッぺケぺー節)を旗揚げ。

<この年の流行語>民法出デテ忠孝亡ブ

 

・1892(明治25)

12月8日、今井4代目、今井三之助が川勝キヌと結婚。※2月、出口ナオ、大本教開教。

<この年の流行語>一銭一厘

 

・1893(明治26)※5月、戦時大本営条例公布。7月、淀川川開き行事初開催。同、御木本幸吉、半円真珠貝の養殖に成功。

 

・1894(明治27)

2月24日、今井4代目、今井三之助とキヌの長男、勝一が誕生したが、3月14日に急逝。4月4日にはキヌも死去。19歳だった。※3月、天皇大婚25年記念切手発行、記念切手の最初となる。4月、大阪市が「みおつくし」うぃ市章と定める。8月、日清戦争。

<この年の流行語>カミソリ大臣

 

・1895(明治28)

 11月9日、今井4代目、今井三之助が山本千代と再婚。※4月、日清講和条約(朝鮮の独立承認、遼東半島・台湾・澎湖列島の割譲など)調印。これに対し、独、露、仏が遼東半島返還を勧告(三国干渉)。11月、大阪市の上水道通水、市民は初めてろ過された水を口にした。それまでは「水屋」が大川上流で取水したものを買っていた。

<この年の流行語>臥薪嘗胆

 

・1896(明治29)

2月11日、今井三之助の次男で今井5代目、今井寛三が誕生。

この年、高田実、喜多村祿郎、秋月桂太郎らが結成した「成美団」が角座で旗揚げ公演。 

 ※3月、河川法が国会で成立するとともに、淀川改修案が可決。淀川を毛馬から西に直線伸ばす工事がスタート。        

 

・1897(明治30)

2月15日から1週間、難波駅前の「南地演舞場」で、フランス人、アウギュスト・リュミエールが発明した「シネマトグラフ」を日本で初めて公開興行。1週間後の2月22日は、アメリカの「ヴァイタスコープ」という映画が「新町演舞場」で公開された。エジソンがニューヨークで公開した10カ月後のこと。活動大写真は大阪で始まった。

 ※1月、正岡子規らが「ホトトギス」を創刊。10月、大阪港築港起工。12月、志賀潔が赤痢の病原体を発見。

<この年の流行語>電気扇(「扇風機」のこと)、活動写真

 

・1898(明治31)※2月、北区桜橋に「大坂歌舞伎座会館」が開館。しかし、翌年に失火で全焼、再建されず。5月、淀川大改修工事スタート、明治42年完工。10月、岡倉天心らが日本美術院創立。

<この年の流行語>赤帽

 

・1899(明治32)

6月12日、今井4代目、今井三之助が秋吉コマと再再婚。※2月、東京・大阪間の長距離電話が開通。同、鳥井新次郎が寿屋(現サントリー)を設立、国産の本格的なぶどう酒「赤玉ポートワイン」の製造を始める。7月、東京で初のビヤホール開店。 

<この年の流行語>弁士、ビヤホール

 

・1900(明治33)

 2月、成美団が「中座」で新演劇の「玄武門」を上演。日清戦争の平壌攻撃戦で玄武門に一番乗りし、門を開いた原田重吉陸軍上等兵が俳優として出演、話題となる。そして6月、「朝日座」で成美団の再建公演ともいうべき新演劇の公演。これは関西新派劇として愛され、後の新国劇に繋がっていった。

※4月、雑誌「明星」創刊。9月、天王寺西門-東天下茶屋間に鉄道馬車が走る。明治41年には廃止。11月、梅田鉄道停車場内に大阪初の「自動電話(公衆電話)」設置。

<この年の流行語>自動電話(「公衆電話」のこと)、ハイカラ、自由廃業

 

・1901(明治34)※7月、2代目の大阪駅が完成。8月、与謝野晶子が処女詩集「みだれ髪」を発刊。

<この年の流行語>七重のひざを八重に折り、二十世紀

 

・1902(明治35)※1月23~25日、第八師団第五連隊、八甲田山「雪中行軍」で遭難、190余人が凍死。同30日、日英同盟協約をロンドンで調印、即日実施。2月、円明寺市場(後黒門市場)が公認される。9月、東京専門学校が早稲田大学と改称。

<この年の流行語>非戦

 

・1903(明治36)

3月7日、巡航船(ポンポン船、定員30人)が、道頓堀川、西横堀川に就航。新町橋、湊町、戎橋、日本橋に乗降場を設け、全区間の料金は2銭(一区間1銭)。当時、きつねうどんの料金が2銭、人力車の同一区間の料金が5銭。この出現で交通機関の中心が人力車からポンポン船に移った。営業航路も東横堀川、大川、堂島川、土佐堀川、木津川と広がり、一日の平均乗客も2万人を超す市民の足となった。

7月6日、今井3代目、今井佐兵衛が死去、61歳。

※3月、第五回内国勧業博覧会が大阪・天王寺周辺で開催、5カ月で入場者530万余人。同月、南海鉄道の難波-和歌山市間が開通。4月、小学校令を改正し、国定教科書制度を確立。6月、「馬酔木」創刊。7月、築港大桟橋完成。9月12日、大阪市電第一号が築港桟橋-花園橋(5㌔)を走る。料金は4銭。

<この年の流行語>人生不可解

 

・1904(明治37)

2月、日露開戦を伝える号外の鈴音が芝居町にも響き渡る中、曾我廼家五郎・十郎劇団が「浪花座」(竹本座→大西の芝居→筑後の芝居→戎座→浪花座)で旗揚げ公演。公演3日目、この号外発行をパロデイ化した「無筆の号外」という演目に急遽変更して上演し、受けに受けた。 

この年、「中座」で日露戦争の実写ニュースが上映される。山中定次郎が米・エジソン社からフィルムを購入したもの。

※2月、日本、ロシアに宣戦(日露戦争)。3月、第4師団(大阪)に動員令。12月末で大阪市の人口が102万人と、初めて100万人を超える。寛文5年(1665)の大坂三郷(北組、南組、天満組)で約27万人。元禄期に36万となり、宝暦から明和にかけて42万人を超したが、明治維新のころは衰退して28万人に。大阪市誕生の明治22年には46万人、日清・日露戦争の後は急激に増えて100万突破。大正14年の市域拡張で211万人となり、初めて東京を抜いて日本一の大都市・大阪になった。

<この年の流行語>軍神

 

・1905(明治38)

 夏、白井松次郎が中村鴈次郎との提携に成功。10月、東京・歌舞伎座の10月興行に臨み、18番の「紙治」を出して好評を得る。

 11月、白井松次郎が道頓堀・弁天座で鴈次郎一座の興行を行う。

※4月、阪神電鉄の出入橋-三宮が開通。8月にポーツマス条約、9月に日露講和条約(韓国保護権、南樺太及び遼東半島租借権、満鉄などを獲得)調印。

<この年の流行語>二〇三高地、皇国の興廃この一戦にあり、本日天気晴朗なれど波高し

 

・1906(明治39)

 2月、白井松次郎が道頓堀・中座で中村鴈次郎一座の興行を自ら仕切る。これが、松竹の道頓堀進出の第一歩となる。松次郎は引き続き3、4、5月と中座を借り、鴈次郎を連続出演させた。この際、松次郎は興行時間を短縮し、芝居の町をびっくりさせた。当時の道頓堀の興行は午後1時ころに始まり、夜の11、12時までやるのが普通。芝居見物は一日がかりの物見遊山という江戸以来のきふうがあったが、松次郎は開演を午後5時とした。関係者の避難を浴びたものの、強引に通し、相当な成績を上げた。

※12月、大阪砲兵工廠でストライキ。

<この年の流行語>無政府主義、ジンタ、女子参政権などもっての外

 

・1907(明治40)

7月、大阪最初の映画常設館「電気館」が千日前にオープン。12月に「第一文明館」も近くに開館した。 ※5月、「三越」が大阪初の百貨店として開業。8月、毛馬閘門が完成。

<この年の流行語>自然主義、増税、直接行動か議会主義か

 

・1908(明治41)※4月、初のブラジル移民780人余が出発。

 

・1909(明治42)

 1月、松竹が道頓堀・朝日座を買収。4月には文楽座を買収し、1919年(大正8)に弁天座を手中に収め、いわゆる道頓堀五座のすべてを支配下に置いた。

この年、道頓堀にカフェ「パウリスタ」が開館。ブラジル政府がコーヒー宣伝のため出した店。表のガラスの陳列棚に缶入りコーヒーや瓶入りシロップなどが飾られ、その両側に入口があった。コーヒー一杯が5銭だった。その前年、川口居留地に洋館二階建ての「カフェ・キサラギ」が開店しており、大阪のカフェとしては二店目。「パウリスタ」にはその後、作家・宇野浩二が入り浸ったり、道頓堀川柳会がここで開かれたりする。

 ※6月、新淀川完工。同、国技館完成。7月、北の大火、11,365戸焼失。10月、天王寺公園が開園。同、伊藤博文がハルピン駅前で暗殺さる。

<この年の流行語>ハイカラ

 

・1910(明治43)※2月、川上音二郎、北浜に「帝国座」を創立。3月、箕面有馬電気軌道(現阪急)梅田-宝塚、石橋-箕面が開通。4月、京阪、天満橋-五条が開通。5月、大逆事件の検挙始まる。

 

・1911(明治44)

 「角丸の芝居」から改称した「朝日座」が、道頓堀で最初の映画上演中心の劇場に転向。

※岩本栄之助が大阪市に100万円を寄付、これをもとに中之島中央公会堂建設(大正7年に完成)、本人は完成を待たずピストル自殺。7-10月、市電の曽根崎天満橋筋線、谷町線、北浜線が相次いで開通。この年、生糸の生産高が中国を抜いて世界第一位に。またこの年から、文庫本の先駆けといえる「立川文庫」(立川文明堂)が刊行される。川端康成、湯川秀樹らも愛読者の一人で、「猿飛佐助」などは発行部数が100万部を超えた。1924年(大正13)、196冊目で終刊。東京の「少年倶楽部」など後続の雑誌に圧迫された。

 

・1912(明治45)

 1月16日、南の大火。難波新地の貸座敷から出火、ミナミの歓楽街を総なめにした。「弁天座」も類焼。焼失戸数は4779、死者4、罹災面積33.3ヘクタール。

※5月、大阪市庁舎が江之子島から堂島浜通りへ新築移転。7月3日、新世界に通天閣(高さ74m)を中心とする「新世界ルナパーク」開業。