皆さんはじめまして。
そして、ようこそ道頓堀へお越し下さいました。
私は道頓堀今井の玄関で皆さんをお迎えしている宵待柳です。
私は昭和21年に今井が創業した時、当時まだ建物はバラック(ほったて小屋)だった頃、先々代の今井寛三さんに植えてもらってから、ずっとここでミナミの街の移り変りや、さまざまなエピソードも見守ってきました。
今井と言えば「うどん」ですが、戦争前は同じ場所で今井寛三さんが楽器店をやっていました。
そのもっと以前、江戸時代は芝居茶屋だったという話も聞いています。また、ここにいると道頓堀がどのようにして生まれ、どんな時代を乗り越えて今日に至ったのかも自然と耳に入ってきます。
道頓堀のことは私が一番よくわかっているつもりです。できれば皆さんにもちゃんと知ってもらいたい。でも私は柳、書くことができないので、見聞きしてきたことをお伝えできません。
どうすれば、皆さんに道頓堀のことを伝えられるか、そればかり考えて過ごす日々が続いていました。
ところが、道頓堀開鑿400年が翌年にせまったある日、私のところへ長谷川さんという方が訪ねてきました。長谷川さんは元新聞記者で、道頓堀に興味があって、いろいろと調べているのだそうです。不思議なことに長谷川さんは私の言葉がわかるようです。
最初に「なぜ、柳と話ができるのですか」とお訊ねしたところ「聞きたいと思う心があるからだよ」とおっしゃいました。うれしくなった私は、いままでの思いを吐き出すように、いろいろなことをお話ししました。
長谷川さんは、それから毎週のように私の話を聞きに来ました。時には遠くまで、私の知り合いを訪ねて出かけていき、昔の話をたくさん聞いてきたそうです。
そのうちにこんなことがありました。
「この前聞いたことだけども、他で調べたら日付が違うんだよ、記憶違いじゃないの」
「事実はどうなんだろうねえ」と長谷川さん。
私は、さすが、元新聞記者さんは違うなあと感心しました。
私はこの人なら、道頓堀のことや今井のことを上手に書いてくれるかも。と考えるようになり、ある日、思いきって執筆をお願いしました。
長谷川さんは
「かまわないよ、ただしすぐには無理だよ、書くとなれば、図書館で資料も見ないといけない。いいかげんなことは書けないからね」また「書き始めるのは1年後くらいでもいいかな、それで、どこに載せるんだい」「あてがないんだったら知り合いに頼んであげるから、ホームページでもつくりなさいよ」とも言ってくださいました。
こうして、私の長年の願いがかない、こうして道頓堀と今井の物語を皆さんにお伝えできるようになったのです。
最後に皆さんにお願いがあります。ホームページをごらんになった感想、道頓堀にまつわる面白いエピソードや思い出話、また新しい情報などがありましたら、道頓堀広場と名付けた、専用のページをご用意させていただきましたので、どうぞ遠慮なくお知らせください。
さて、私の話はこれぐらいにして、ここからは長谷川さんに道頓堀と今井の物語を綴っていただくことにしましょう。
平成27年2月1日
宵待柳
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