今井と道頓堀の200年

・1838(天保 9)

 このころ「今井」の初代、今井佐兵衛の一人娘で2代目を継いだたけが稲野屋徳兵衛の援助により道頓堀の中座向かいで芝居茶屋「稲竹」を創業。屋号は徳兵衛の屋号とたけの名をとって命名した。道頓堀通りに芝居小屋ができ始めて150年。通りの両側には、5座を中心に中小の芝居小屋が建ち、それらを囲むように芝居茶屋がびっしり並んだ時期でもあった。

このころ、芝居小屋は朝の6時ころに開場した。電気のような人口光がないから、自然光で芝居をするためである。開場前に天窓をすべて開け、「三番叟」が始まって芝居に入っていく。そして、夕方の日暮れとともに終わった。

大坂以外からの芝居客は多くが船で八軒家に着き、そこから小舟で東横堀を通って道頓堀川に入り、芝居茶屋の裏の船着き場から茶屋へ上がる。そこで夕食をとり、仮眠した。朝、開場まえに起き出し、お手水を使って茶屋の前から履物をはかず簀の子の渡し板を使って劇場に入った。これが当時のお金持ちの観劇のステイタスだった。一方で、大坂の客は朝方の4時から5時にはちょうちんを灯して芝居茶屋入りし、開演に備えた。こうした観劇スタイルは明治初期まで続き、芝居茶屋の活況を支えた。

※3月、江戸城西丸焼失。5月、江戸市中に奢侈禁令。8月、水戸斉昭、幕府提出の内憂外患に関する意見書を執筆。10月、緒方洪庵の「適塾」開講。

 

・1841(天保12)※正月、11代将軍、家斉が死去、69歳。3月、徳川斉昭が大砲を鋳造。同、水野忠邦による天保の改革スタート。5月、高島秋帆、洋式銃隊の訓練実施。

 

・1842(天保13)

5月9日、今井の2代目、たけに3代目の男児誕生。父の名と同じ佐兵衛と名付ける。

この年に出された「改革令」で芝居小屋は「筑後の芝居(大西の芝居)」「中の芝居」「角の芝居」「若太夫の芝居(若太夫座)」「竹田の芝居」に減らされた。※3月、唄、浄瑠璃、三味線の女師匠が弟子をとることを禁止。7月、異国船打ち払い令をやめ、薪水、食料の給与を許す((薪水給与令)。

 

・1848(嘉永 元)※山本利助、新町橋東の順慶町南側に昆布屋「小倉屋山本」を起こす。この年、本木昌造らがオランダから鉛活字を購入。

 

・1852(嘉永 5)※11月19日、大坂で大火。

 

・1853(嘉永 6)※アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが、4月に琉球、5月に小笠原島、6月には軍艦4隻を率いて浦賀に来航、大統領国書をもって通商を要求。7月、ロシア・プチャーチンが軍艦4隻を伴って長崎に、12月にも再来。

 

・1854(嘉永7、安政 元)

11月、安政南海地震。4日夕と5日午後4時半、同7時半ごろに起き、高さ1丈(約3㍍)もの津波が発生。大小の船が市中の川に流れ込み、橋の破損・流出が相次いだ。道頓堀周辺も水没し、船が押し運ばれてきた。死者は数百人とも数千人ともいわれる。

※3月に日米、8月に日英の和親条約なる。9月18日、11月、ロシアのプチャーチン中将が率いる帆船「ディアナ号」が天保山沖に姿を見せ、開国交渉を要求した。船体は53m、マストの高さは18メートル、60門の大砲を装備していた。2週間後、下田に向かい、12月21日、同地で日露和親条約を締結。

 

・1855(安政 2)※10月2日、安政の大地震、江戸に甚大な被害。

 

・1856(安政 3)※7月、安治川、木津川口に台場を築く。同、アメリカ総領事ハリス、下田に上陸。

 

・1858(安政 5)※6月に日米修好通商条約、9月に日仏修好通商条約調印。9月、安政の大獄始まる。

 

・1859(安政 6)※10月、橋本佐内、頼三樹三郎、吉田松陰を処刑。

 

・1860(万延 元)※3月3日、桜田門外の変、井伊直弼暗殺。

            

・1862(文久 2)

8月22日、今井の2代目、今井たけが死去。

 ※1月、坂下門外の変、老中・安藤信正が襲撃され、負傷。8月、新たに京都守護職を置き、会津藩主、松平容保を任命。同、生麦事件。

 

・1863(文久 3)※6月、高杉晋作ら奇兵隊を編成。7月、薩英戦争。尊攘派を追放する8月18日の政変、7卿都落ち。

 

・1864(元治 元)※7月、禁門の変。8月、第一次長州征伐。尾張前藩主、徳川慶勝を征長総督とする征伐軍の発信基地が大坂となり、大坂入りした各藩兵は天満、上町の寺を宿営地とした。同、与力・内山彦次郎、天神橋上で新選組に殺される。

 

・1865(元治2、慶応元)※5月、第二次長州征伐。大坂が再び発進基地となり、翌年6月に発進するまで、1年余の長期滞留だった。

 

・1866(慶応 2)※1月、薩長同盟成立。5月、大坂で打ちこわし。二次にわたる長州征伐の大軍が長期滞在したことが物価高騰の原因となり、米が暴騰(1年で4倍)、3日に西宮を皮切りに、10日に池田、13日に九条、難波、福島、14日に大坂市中と頻発した。7月、将軍徳川家茂、大坂にて没、21歳。9月、江戸で打ちこわし。12月、徳川慶喜、15代将軍になる。同、孝明天皇崩御、36歳。

 

・1867(慶応 3)※9月14日、大政奉還。12月9日、王政復古の大号令。

 

・1868(慶応 4)

この年1月に戦端を開いた鳥羽伏見の戦いの影響で、道頓堀の芝居小屋も軒並み興行中止に追い込まれる。※1月3日、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争起きる。9日には長州藩兵が大坂城を占領、翌10日、征討将軍(仁和寺宮嘉彰親王)が薩摩藩兵とともに「錦の御旗」を翻して大坂に進駐し、22日、大坂鎮台(大阪府の前身)を西本願寺(津村別院)内に設置した。27日には大坂裁判所と改称、さらに5月には大坂府と改称し、初代府知事に醍醐忠順が就任した。この間、大久保利通が大坂遷都を建白(23日)するが、実現せず。また、政府は大坂と京都の豪商に300万両の御用金を課した(29日)。2月、堺事件。3月、明治天皇が大坂行幸。同月、五箇条のご誓文。5月、淀川で大洪水、神崎川堤防決壊。6月、大坂府から堺県独立。7月、川口居留地を設定。