・1912(大正 元)※7月30日、明治を大正と改元。9月、明治天皇大葬、乃木希典夫妻殉死。

<この年の流行語>大正維新

 

・1913(大正 2)

 このころ、浪花座の東隣に「カフェ・パウリスタ」が誕生。

※10月、池上四郎が6代大阪市長に就任。公設市場の建設推進など社会福祉政策を次々と実施に移し、名市長といわれた関一を助役として招へいし、都市の大改造に道筋をつけた。

<この年の流行語>薩閥

 

・1914(大正 3)

4月、島村抱月らの芸術座が、「浪花座」(竹本座→大西の芝居→筑後の芝居→戎座→浪花座)でトルストイの「復活」を公演。東京・帝劇での初演(3月)に続く巡業公演の第一弾。これをきっかけに、劇中の挿入歌「カチューシャの唄」(松井須磨子)が全国で大流行。

※3月、大阪の柴島水源地が完成。4月、大阪電気軌道(現近鉄)が上本町-奈良開業。7月、関一が大阪市会の推薦で助役に就任。第一次世界大戦勃発、8月に日本も参戦。

<この年の流行語>鰻香内閣

 

・1915(大正 4)

大久保利武(府知事)が発起人となり、安井(成安)道頓、安井道卜の功績をたたえる紀功碑を日本橋の東北隅に建立。道頓堀開削300年を記念してのモニュメント。紀功碑には大阪城の石垣になるはずだった「残念石」が使われた。

この年、「角座」が、客席を平土間から椅子席にする。

 ※1月1日、大阪市立天王寺動物園が開園、東京・上野(明治15)、京都に次いで全国で3番目。8月、第一回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園=朝日新聞社主催)が豊中球場で開催、1924年(大正13)からは甲子園で。

<この年の流行語>宙返り、金塊引上げ

 

・1916(大正 5)

春、今井の4代目、今井三之助が、2代目のたけ夫妻が始めた芝居茶屋「稲竹」の営業権を同店の女番頭だった野村照に譲り、5代目、寛三の発案で西洋楽器を販売する「今井楽器店」を創業。創業当時はおもちゃ屋も併設してのスタートだったが、西洋楽器を売る店としては全国でも3本の指に入り、道頓堀ジャズの大流行ともあいまって順調に売れ行きを伸ばした。服部良一がここで、金35円のフルートを購入、辻久子も店の常連だった。

「稲竹」の営業権を譲り受けた照は、稲竹からののれん分けという意味もあって、屋号を「稲照」とし、角座の向かいに移って芝居茶屋を継続した。

 ※6月、大阪でタクシーが営業開始。9月、懐徳堂再建。この年、諸物価が高騰、株式相場は大暴落し、12月には大阪株式取引所立会停止。12月、大阪市の人口が150万人に。

<この年の流行語>是々非々、民本主義、忍術

 

・1917(大正 6)※ロシア革命(2月、10月)。4月、沢田正二郎の新国劇が旗揚げ。10月、淀川大洪水、右岸の大塚堤防などが決壊。同月、西野田小公園開園、市立公園の第一号。

<この年の流行語>きょうは帝劇あすは三越 人道主義

 

・1918(大正 7)※4月、大阪に日本で初めての公設市場(境川、福島、天王寺、谷町)できる。7月、富山・魚津で米騒動、8月には大阪など関西に波及。8月、大阪野村銀行(大和銀行の前身)開業。10月、大阪市内16方面に方面委員(後の民生委員)設置。同月、大阪中央公会堂完成。11月、第一次世界大戦終わる。12月、飛田遊郭ができる。

<この年の流行語>非立憲内閣、平民宰相、投機熱

 

・1919(大正 8)

7月17日、川柳結社「番傘」を主宰する岸本水府を中心とした「道頓堀川柳会」(道頓堀雑誌社主催)が南区玉屋町(現在の中央区心斎橋)の松竹舞踏練習所で開催。題は「道頓堀」「貸ボート」「小料理屋」「拾い物」。

「道頓堀」の句には▽「今果てた道頓堀に曲がるなり」(食満=けま=南北)▽「道頓堀へ来ると友達らしくなり」(竹人)▽「団体は道頓堀の朝を行き」(幽香)▽「乗馬会の一人道頓堀を抜け」(水府)など。

「鍵の手に舞妓の並ぶ楽器店」(南北)と、今井楽器店を読み込んだ句も。

第二回川柳会は9月13日、番傘社の例会と合わせて、浪花座の東にあった「パウリスタ」(24時間営業のカフェ)で開催。

この年、「弁天座」で新声劇が旗揚げ。

※1月、パリ講和会議。6月、ベルサイユ講和条約。同月、大阪市初の市営住宅が桜宮と鶴町に完成。7月、大阪市が全国初の児童相談所、全国初の公共託児所をそれぞれ開設。8月、大阪市が市営中央職業紹介所を西区に開設、大阪市の社会事業が本格化。

<この年の流行語>成金、普選、デモクラシー

 

・1920(大正 9)

正月、松竹経営となっていた「中座」が大改装。ここを拠点とした初代中村鴈次郎の2月新装興行では、画家の菅楯彦が舞台考案を担当した。他の劇場が椅子席に変わっていく中、最後まで、桟敷の畳席を残したことでも知られる。

6月15日、今井5代目、今井寛三が藤田せつと結婚。

9月1日、「中座」の真向かいにあったうなぎ屋「いづもや」の宣伝活動をする「いづもや少年音楽隊」が発足。隊長は陸軍の音楽隊から、指導者は宝塚歌劇団から迎えた。隊にトップの成績で入ったのが服部良一。最初はオーボエなどを担当した。この入隊をきっかけに、「いづもや」の向かいにあった今井楽器店に出入りし始めた。

※1月、国際連盟発足、日本は常任理事国に。2月、大学令により、早稲田と慶応が大学として設立認可。5月、日本初のメーデー(東京・上野公園)。10月、第一回の国勢調査。

<この年の流行語>示威運動

 

・1921(大正10)

 大阪市が都市計画財源として「観覧税」の徴税を始める。有料興行物の観覧者から徴収した。これに伴う常設興行施設41か所の1年の入場者数は1002万9791人、総収入は277万4502円。収入のベスト3は①楽天地(37万8079円)②浪花座(29万9884円)③中座(10万6776円)で、道頓堀で2強を占めた。

※2月、栄養菓子として「一粒300m」のグリコ発売。5月、大阪市で最初のメーデー。同、大阪市役所が中之島に新築移転。11月、原敬首相(66)、東京駅で暗殺される。

<この年の流行語>プロレタリア、一蓮托生、二枚舌

 

・1922(大正11)

4月9日、大阪島之内警察署が千日前・楽天地前、道頓堀・角座前、道頓堀・戎橋南詰めの3か所で、午前8時から午後8時までの12時間に行きかう人の通行量調査を実施。角座前は実に35万7590人の男女が行きかっていた。

※3月、大阪毎日新聞社が記者に洋服を着用させる。4月、天保山桟橋竣工。5月、大阪高等学校開校。

<この年の流行語>恋愛の自由、赤化

 

・1923(大正12)

5月、洋画専門の封切館として「松竹座」が道頓堀に完成。モボ・モガの人気を集めた。

 ※3月、桜之宮公園開設。5月、大阪松竹少女歌劇団が第一回公演。9月、関東大震災。11月、関一が第7代市長に就任。

<この年の流行語>大震災、流言ひ語、復興計画、アナーキスト

 

・1924(大正13)

この年、明治から昭和まで「大阪の顔」といわれた初代中村鴈治郎が「心中天網島」の主人公、紙屋治兵衛を演じた際の二枚目ぶりをたたえた岸本水府の川柳「頬かむりの中に日本一の顔」が発表される。※4月、選抜中等学校野球大会(現在のセンバツ高校野球)が名古屋・山本球場で開催、第2回からは甲子園。6月、大阪市内に一円タクシー走る。8月、阪神甲子園球場(当時の名は「甲子園大運動場」)竣工。

<この年の流行語>復興、この際だから、文化~

 

・1925(大正14)

 春、画家、岡本太郎の父、一平が大阪朝日に「大大阪君似顔の図」を15回にわたって連載。大阪が東京を抜いて日本一の都市になったことを記念したもの。この中で道頓堀は「大阪君の顔の鼻と唇をつなぐ線、即ち鼻唇線の溝を道頓堀の泥川とする」とした。ちなみに鼻は通天閣、口が築港、歯が大阪城の石垣だった。※3月15日、大大阪記念博覧会開催(4月30日まで)。同月、治安維持法公布。同、大阪中央卸売市場の開設認可。4月、大阪市が第二次市域拡張。東西南北の4区に周辺地区を合併して13区に。人口は211万人となり、東京を抜いて日本一の巨大都市「大大阪」に。大阪は大東京成立の昭和7年まで、一位の座を保持した。9月、帝国議会議事堂全焼。

<この年の流行語>寄らば斬るぞ、治安、猟奇

 

・1926(大正15~昭和元)※2月、大阪市が初の分譲住宅を建設。11月、大阪府庁庁舎落成式。12月25日、大正天皇没、昭和と改元。

<この年の流行語>立ち入り禁止、赤、神出鬼没

 

・1927(昭和 2)

3月、「中座」の東隣に「南地赤玉」(今井楽器店の西隣)が開店。そのチラシ広告には黒人のジャズバンドが登場。10月には道頓堀川に面してキャバレー「道頓堀赤玉」も登場。内装はエキゾチシズムに満ち、そのチラシには「ジャズバンド毎日演奏」と記された。その後、建築家、村野東吾の手で増改築された。

6月11日、今井5代目、今井寛三が協議離婚し、11月30日に伊達マチ子と再婚。

※2月、阿部野橋-平野間で初の市営バス運行。3月、金融恐慌が起こり、休業銀行続出。同、川端康成の「伊豆の踊子」刊行。12月、日本初の地下鉄が東京・上野-浅草間に開通。

<この年の流行語>シャン、モガ、モボ、現状打破、漠然たる不安

 

・1928(昭和 3)

3月、レコード「道頓堀行進曲」(日比繁次郎作詞、塩尻清八作曲)が松竹から発売され、大流行。これは、大阪、京都、神戸の各松竹座で映画の幕間劇として上演された寸劇「道頓堀行進曲」の主題歌として松竹楽劇部のコンビが作り上げたもの。道頓堀の名が全国に知られるきっかけともなった。 ※7月、日本初の軍官民合同防空演習が第四師団主催で実施さる。29年に名古屋、31年に北九州、33年に関東でそれぞれ実施。10月、4月に日本商工会議所が設立されたのを受けて大阪商工会議所が設立。

<この年の流行語>人民の名において、昭和維新、弁士中止、

 

・1929(昭和 4)

 この年、道頓堀を題材にした流行歌「浪花小唄」(時雨音羽作詞、佐々紅華作曲)が誕生。末尾で繰り返された「テナモンヤないかないか道頓堀よ」の歌詞が一世を風靡し、道頓堀の知名度をさらに高めた。※4月1日、寿屋(現サントリー)が初の国産ウイスキー「白札」を発売、4円50銭。同15日、阪急百貨店開業、日本初の本格的なターミナルデパート。同月に島崎藤村の「夜明け前」、5月に小林多喜二の「蟹工船」、6月に徳永直の「太陽のない街」刊。10月、世界恐慌。

<この年の流行語>大学は出たけれど、合理化、モダン・ライフ

 

・1930(昭和 5)※5月、横山エンタツと花菱アチャコが漫才コンビを結成。10月、東海道線に「特急つばめ」運転、東京-大阪間8時間20分。11月、浜口雄幸首相が東京駅で佐郷谷留雄に狙撃され、重傷。この年、世界恐慌が日本に波及(昭和恐慌)、昭和8年まで続く。芝浦製作所(現東芝)が電気洗濯機と電気冷蔵庫を、日本で初めて発売。

<この年の流行語>OK、ルンペン、ラバサン、男子の本懐、流線型、アチャラカ

 

・1931(昭和 6)

1月、南木芳太郎(1880~1945)が創元社から郷土研究雑誌「上方」を創刊、1944年(昭和19)に実質終刊。「道頓堀変遷号」「千日前今昔号」などがある。南木の膨大な蔵書は「南木文庫」として知られる。 ※5月、府立大阪医大を国に移管、大阪帝国大となる。9月、満州事変。11月、大阪城天守閣完成、工費47万円。ほぼ同時に大阪城公園も開園。同月、大阪中央卸売市場開業。

<この年の流行語>もちよ、いやじゃありませんか、何が彼女をそうさせたか

   

・1932(昭和 7)

10月28日、今井6代目、今井清三が誕生。

※1月、大阪市がわが国初の児童福祉施設「水上子どもの家」を開設。3月、満洲国建国宣言。5・15事件、犬養首相射殺。10月1日、大阪市に大正区などが新設され、15区に。同月3日、千日前・楽天地跡に松竹が経営する「大阪歌舞伎座」(後の新歌舞伎座)開場。翌年、その6階にアイススケートリンクを開設し、人気の的となった。

<この年の流行語>天国に結ぶ恋、話せばわかる、問答無用、青年将校、時局

 

・1933(昭和 8)※2月、築地署が小林多喜二を検挙、虐殺。3月、日本が国際連盟脱退。5月20日、大阪市営地下鉄が誕生、梅田-心斎橋間(3.1㌔)を走る。全線一区制で料金は10銭。6月、天六でゴーストップ事件。

<この年の流行語>男装の麗人、転向、赤化思想

 

・1934(昭和 9)

正月、「中座」で古式復興の興行。初代鴈次郎ら役者が大手・笹瀬の手打ち式を復元。

 この年、濃厚な珈琲で知られる「丸福珈琲店」が新世界近くの今池で創業。戦後すぐ、千日前の現在地に移転した。※1月に日本製鉄㈱、4月に三菱重工業㈱が設立。4月、帝人事件、内閣総辞職に発展。8月、レコード検閲制度がスタート。9月21日、室戸台風が関西を直撃、全国で死者行方不明者3036人、家屋の全半壊・破損92740棟、船舶の流失・破損27594隻。津波に襲われた大阪は4メートルを超える高潮の被害が大きく、街の五分の一が浸水したとされ、大阪城の近くまで浸水した。

<この年の流行語>国防、明鏡止水、花嫁

 

・1935(昭和10)

2月1日、初代中村鴈次郎没、76歳。大阪市長、関一の市葬が天王寺公園で行われた日だった。

この年、グリコのネオン塔(初代)が戎橋と道頓堀橋の間の道頓堀川南岸に登場。現在の塔より13メートル高い33メートルもの巨大なもの。ランナーとグリコの文字が6色に変化し、毎分19回も点滅する花模様で彩られた華やかなネオン塔だった。しかし、1943年(昭和18)、戦時下の鉄材供出のため、撤去された。 ※1月、美濃部達吉の天皇機関説が問題化。第1回芥川賞・直木賞の発表。1月26日、大阪市長、関一が死去、63歳。2月1日に大阪市初の市葬を執行。10月、大阪市の人口が298万人に。同、市営地下鉄、心斎橋-難波間が開通。同、ラジオ焼き(後のたこやき)が新発売(西成区、会津屋)。

<この年の流行語>人民戦線、国体明徴

 

・1936(昭和11)※2月、2.26事件、斎藤実、高橋是清ら暗殺、東京に戒厳令。5月、天王寺公園に市立美術館開館。この年、「別れのブルース」「ああそれなのに」が流行。また、インフレ、物価騰貴による賃上げ争議が激化、翌年まで続く。

<この年の流行語>今からでも遅くない

 

・1937(昭和12)※2月、文化勲章制定。3月、市立電気科学館開館、日本初のプラネタリューム(天体照射機)を設置。5月、御堂筋(約4キロ、道幅43.6m)が完成、今の広さに。6月、川端康成の「雪国」発刊。7月、日中戦争の発端となった盧溝橋事件起きる。これを契機に防空演習や灯火管制が行われるなど、戦争への道をひた走り始めた。9月、政府が国民精神総動員を提唱。11月、日独伊三国防共協定調印。

<この年の流行語>総動員、持てる国と持たざる国、パーマネントはやめませう

 

・1938(昭和13)※4月1日、国家総動員法(議会の承認を経ぬまま、政府が国内の物的、人的資源を戦争遂行のため動員できるとした)公布。同21日、市営地下鉄、難波-天王寺間開業。ガソリン切符制(5月)、石炭切符制(10月)実施。7月、阪神地方で大風水害。8月、火野葦平の「麦と兵隊」刊。

<この年の流行語>~を相手とせず、だまれ!、新秩序、統制、代用品、買いだめ

 

・1939(昭和14)

12月11日、今井4代目、今井三之助が死去、69歳。

この年あたりから戦時色が濃厚に。道頓堀、千日前、心斎橋筋、新世界といった歓楽街の小売店はそれまでの深夜営業を午後11時閉店とされ、夜の賑わいが消えた。映画、芝居なども早朝からの興行を禁止され、正午開場に。婦人のパーマネントは伝統にそむく軽佻浮薄な髪型で時局認識を疑しめるものとして追放。10月の物価統制令の実施以降、木炭、砂糖、マッチなどの生活必需品が次々と配給制になっていった。※毎日新聞社機「ニッポン号」が世界一周に成功。1月、横綱双葉山が69連勝を達成、1月場所3日目。9月、ドイツ軍がポーランド侵入、第二次世界大戦始まる。

<この年の流行語>ぜいたくは敵だ、マル公、処置なし、ヤミ配給

 

・1940(昭和15)※9月、日独伊三国軍事同盟条約調印。ダンスホール閉鎖。国民服制定。東京オリンピック中止。10月、大阪市の人口325万人。同、大政翼賛会創立。11月、米、味噌、醤油、塩、木炭、砂糖、マッチなど10品目が切符制となる。同、国民服の着用義務化、男はカーキ色、女はモンペ。

<この年の流行語>バスに乗り遅れるな、一億一心、八紘一宇、あのねおっさん、わしゃかなわんよ、南進

 

・1941(昭和16)※4月、小学校を国民学校と改称。5月、初めて「肉なし日」が設けられる(毎月2回、肉屋で肉を売らない)。9月1日、ガソリンの配給停止。同11日、内務省が「部落会町内会等整備要領」を訓令、総力戦体制の末端機構を整備。同16日、大坂市バスに、石炭車が走り始める。10月、東条内閣成立。11月、国民勤労報告令を公布、翌月1日施行、男子は14-40歳、女子は14-25歳の未婚者を対象に勤労奉仕を義務付け。12月8日、日本軍がハワイ・真珠湾を攻撃し、米英に宣戦布告(太平洋戦争)。同日、アメリカ映画の上映を禁止。同10日、マレー沖海戦。同16日、呉海軍工廠で史上最大の「戦艦大和」(69100㌧)竣工。

<この年の流行語>上意下達・下意上達、翼賛

 

・1942(昭和17)

 6月17日、道頓堀通りを美しく飾っていたすずらん灯が消える。

※1月、マニラ占領。2月、シンガポール攻略。同、衣料品が点数切符制、味噌、醤油、塩が通帳制、パン、生うどんが通帳制となる。4月、米軍機が日本本土を初空襲、空母から発進した「ノースアメリカンB25」16機で京浜地帯を中心に名古屋、四日市、和歌山、神戸に投弾、銃撃。6月、ミッドウエー海戦、日本海軍は大敗北。8月、米軍がガダルカナル上陸。12月、阪急百貨店、地下鉄梅田駅、阪神地下鉄、国鉄大阪駅を大がかりに結ぶ地下道が完成。大阪初の大規模地下道だった。

<この年の流行語>欲しがりません勝つまでは、産めよ殖やせよ、敵性語、非国民

 

・1943(昭和18)

正月、ジャズレコードの製造、販売が禁止。今井楽器店は太平洋戦争に突入以降も営業を継続した。しかし、金属を使った楽器の製造も禁止され、西洋楽器店なのに金管楽器はなく、軍歌のレコードで埋まっていった。この年、初代のグリコネオン塔が鉄材供出のため撤去。

※2月1日、ガダルカナル島敗退。同13日、1月に起きた新世界大火で楼脚などを焼いた初代通天閣が解体・撤去。同22日、敵性語が廃止され、3月にはスポーツ用語を日本語化。4月1日、15区だった大阪市に、福島、大淀、生野、都島、城東、阿倍野、東住吉の7区が新たに誕生し、22区となる。同18日、山本五十六戦死(59)。5月、アッツ島守備隊玉砕。9月、天王寺動物園で、ヒグマを皮切りに一か月がかりで猛獣類を射殺処分。10月、学徒出陣、神宮外苑競技場で雨中の分列行進。12月、「都市疎開実施要綱」を閣議決定し、建物疎開、人員疎開、施設疎開を実施。これにより大阪でも多くの疎開空地、疎開道路ができた。建物疎開は19年2月から本格化、5回にわたって実施され、7万2千余戸の建物が破壊された。

<この年の流行語>撃ちてし止まむ、転進、玉砕、物々交換、買い出し

 

・1944(昭和19)

 3月、歌舞伎座をはじめ、京都・南座、宝塚大劇場などの劇場が決戦非常措置要綱により休場。道頓堀の劇場の灯も消える。この年、太座衛門橋から相合橋の浜側の民家が防火用地として強制立ち退き。※3月、全国の新聞夕刊を廃止。6月、「学童疎開促進要綱」を閣議決定、縁故のない児童の集団疎開開始、対象は大阪を始め全国13都市。7月、サイパン陥落。8月、グアム島守備隊玉砕。10月24日、レイテ沖海戦、日本は連合艦隊の主力を失う。同25日、神風特別攻撃隊が初出撃。11月24日、マリアナ基地からのB29が東京を初爆撃。12月7日、東南海大地震、死者998人、大阪湾沿岸部で約8000戸が被災。同9日未明、大阪に初の空襲、B29一機が三宅村(現松原市)と瓜破村(現大阪市平野区)に18個の爆弾を投下。

<この年の流行語>進め一億火の玉だ、神風、疎開、特配、

 

・1945(昭和20)

1月3日、大阪市阿倍野区に焼夷弾投下、大阪市内への初投弾。この月だけで大阪府下で10回、2月に10回の空襲が続く。3月13日、午後11時57分から14日午前3時25分にかけて第一回大阪大空襲。爆撃機「B29」274機が高度2~3千メートルから計1732.6トンの焼夷弾を投下、大阪の中心部が火の海となった。死者3987人、罹災者は50万1578人。道頓堀一帯も焼け野が原となり、道頓堀の五座はもちろん、今井楽器店社屋も全焼した。

空襲時、今井家の家族は女中2人を含め8人。町会役員の世話で小橋西ノ町の焼け残った民家に身を寄せ、一週間後、高槻の寺に疎開。

9月、「歌舞伎座」が開場。10月には「北野劇場」が開場。

※2月19日、米軍、硫黄島に上陸。3月9日、東京大空襲。4月1日、米軍、沖縄本島に上陸。8月6日に広島、8日に長崎に原爆投下。同15日、終戦の詔のラジオ放送。30日、連合国が設置した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官、ダグラス・マッカーサーが日本着任。8月25日、連合国軍が和歌山に上陸、9月27日から大阪への進駐を開始した。司令部を、接収した住友本社(現中央区北浜4丁目)に置き(その後、日本生命ビルに移す)、そのほかのビルをも接収し、各種施設を置いた。占領部隊は米第二十五師団。師団本部を日生ビル、歩兵連隊本部を大坂商科大(現大阪市立大)、PⅩ(購買部)をそごう百貨店に置いた。9月2日、無条件降伏文書に調印、同時に陸海軍の解体を命令。同9日、マッカーサーが「間接統治方式で自由主義を助長する政策を行う」と表明。同17日、枕崎台風、死者行方不明者3756人、大坂の床上浸水被害は28234戸。同月、梅田、鶴橋、天王寺、天六、野田などに闇市ができる。10月4日、GHQが治安維持法を廃止。同11日、戦後初の企画映画「そよ風」封切、主題歌「りんごの唄」が大流行。

<この年の流行語>一億総ざんげ、虚脱状態、タケノコ生活、銀シャリ、進駐軍の命により、戦犯、追放、民主化